「ラジオパーティ」について

ラジオに対するわたしの関心は、「電波」を新しいマテリアルとみなす表現全般にあります。それは、当面、「ラジオ・ア-ト」と呼んでもいいでしょうが、「アート」という概念は、狭すぎますし、「近代」のフィルターがかかりすぎています。

「電波」による表現というと、普通、ラジオやテレビの「放送」が考えられますが、それらは、「電波」による表現のなかのほんの、しかも特殊な例にすぎません。しかし、日本には、ちゃんとした「コミュニティ・ラジオ」も「カレッジ・ラジオ」もありませんから、「放送」の多様性についても知る必要があるかもしれません。

「電波」の「電力」(Volt)を極小化することによって、「電波」による表現の多様性が見えてきます。「ミニFM」が面白いのは、それが、既存の「放送」とそれを越えるものとの地平線に接しているからです。「メディアアート」も部分的にこの問題領域に接しています。

わたしがやる「ラジオパーティ」では、まず「コミュニティ・ラジオ」がどんなものかを、実際に電波を出して1、2時間経験し、そのあと、「ミニFM」、それから「ラジオアート」へと「マイクロ化」してラジオを経験してもらいます。その間に、 超簡単なFM送信機 (pdf)を10名ぐらいの参加者が作る「送信機ワークショップ」をやります。

先日ミネアポリスでおこなわれたイヴェントRadio Re-Volt「放送」から「ミニFM]、「メディアアート」、そして狭義の「ラジオアート」を「電波」からとらえなおすための最初の集まりでした。 【記録】(1)   (2)

「ラジオパーティ」というのは、わたしの造語ですが、これは、こうしたラジオ活動を通じて人々が集まり、楽しいことをするということが主旨です。かつてイヴァン・イリイチは、『コンヴィヴィアリティのための道具』(邦訳、日本エディタースクール出版部)という本を書き、そのなかですばらしいことを言いました。イリイチによれば、「道具」(テクノロジー)は、通常、いま有力な産業に役立つ目的でばかり作られ、使用されるが、そうでない道具と使い方があり、そういう道具を「コンヴィヴィアルな道具」と呼ぶ。それは、「用いる各人に、おのれの想像力の結果として環境を豊かなものにする最大の機会を与える」というのです。「コンヴィヴィアル」には、「楽しいつどいの」という意味もありますが、「ラジオパーティ」は、まさに「コンヴィヴィアリティ」を実現するためにラジオを使う集まりです。

●上記は、2004年12月24日に金沢市の香林坊カフェで行われる予定であった「ラジオパーティ」が、仲介者側との意見の食い違いからわたしが、急速にやる気を失い、実現が困難になった時点で、主催者への説明のためにつくったページがもとになっている。(粉川哲夫/2005-01-30)

「送信機ワークショップ」と「ラジオパーティ」の実例

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